『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について④

戦国森家

こんにちは、水城真以です。

前回に引き続き、『森家先代実録』を読みながら、森乱丸について学びつつ、私なりの考察をしていきたいと思います。

前回までの記事

『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について①
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『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について②
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『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について③
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乱丸、|間者《スパイ》を見破る。

「森家先代実録」に、このような記述があります。

同じ年の10月、信長公は来年伊賀国へ向かわれるため、紀伊国よりお召し抱えになった雑賀の者を伊賀国にへ検分のために密かに物見へ遣わした。その者は密偵先から立ち返ってきて、伊賀の難所、要害を早々に役人へ告げれば、それを聞いた皆々深くこの事を信じ、すぐにでも信長公にお伝えしようと言う。

その時乱丸は、

「若年の身で遠慮すべきところ失礼致します。ですが、あの者は卑しき者にございますので、言葉の端々が身分ある者と違い、やはり卑しく聞き取れます。それにも関わらず、伊賀の難所や要害の人数積みなどの話が尋常に聞こえません。あの者は出身が紀伊国で伊賀国にも近き故、親類縁者と話し合って敵方に寝返ったのです。身分ある者にこう伝えよ、と言い含められたものの、自分の身分にふさわしい言葉にうまく言い換えることができず、格別の矛盾があるように聞こえました。どうか、もう一度お取り調べいただけませんか?」

と言った。

皆、乱丸のその意見に従ってもう一度詮議に及んだところ、乱丸の考えた通り、その者は敵方に内通していることが発覚、処罰された。

このことで乱丸はいっそう信長公から寵愛を受け、信長公は側からお離しにならなかった。

伊賀攻めを控えた信長公は、紀伊国出身の者に

「伊賀を調べてこい」

と命じました。

命じられた者は、紀伊から召し抱えられた者だったようです。身分の詳細は分かりませんが、少なくとも乱丸が言葉遣いや立ち振る舞いから違和感を覚えたほど、身分の高い武士ではなかったのかもしれません。

信長公に従い、伊賀国へ向かい、情勢を家臣達に打ち明けます。

その者は伊賀の危険な箇所などを報告。ほかの家臣達はその言葉を信じ、すぐにでも信長公にお伝えしようとしました。

しかしそれを止めたのは乱丸でした。

「あの者の出身である紀伊は、伊賀にも近い場所にあります。親類縁者とともに話し合い、敵方に寝返った可能性があります」

「身分ある者に『このように伝えよ』と言い含められたものの、自分の身分に相応しい言葉にうまく言い換えることができず、違和感が残ったのではないでしょうか」

『森家先代実録』によると、天正七年秋の出来事のようです。

となると、まだ15歳の頃の話。

まだ15歳の若さでありながら、信長公の側近として重要な場に意見を述べることを許されていたのがすごいところです(特に当時の乱丸は、まだ戦に出たことがありませんでした)。

家臣達も受け入れたからこそ、内通者は処罰されたのでは――と読み取れました。

乱丸が普段から有能な小姓として活躍していたから、家臣達も「ただの小姓の戯言」と斬り捨てなかったのだと思います。

しかし、森家好きとして私の妄想も入り混じってしまうのですが、乱丸の物言いが受け入れられたのは、乱丸の亡き父・可成公の面影を感じたのでは――と思ってしまいます。

乱丸の父・森可成について

森可成公は、大永3年(1523年)に美濃に生まれました。最初は土岐氏に仕えてからとも、あるいは斎藤氏に仕官した後だったとも言われていますが、いずれにしてもかなり早い段階で信長公に仕えていたというのは推察されます(『織田信長家臣人名辞典』より)。


織田信長家臣人名辞典第2版 [ 谷口克広 ]

家中が「信長様より信勝様の方が織田家当主に相応しい」と割れていた時も、可成公は信長公に仕え続け、最期は宇佐山城の戦いにて壮絶な討死をします。

浅井・朝倉連合軍の3万とも言われる大軍に包囲される中、わずか数百の手勢で可成公は城を出て防戦し、信長公の弟・織田信治らとともに討死しました。

信長公にとって森家は、若い頃から自分を支えてくれた家臣の家でした。乱丸への厚遇には、本人の才覚だけではなく、父・可成への信頼や記憶も影響していたのかもしれません。

乱丸、光秀の裏切りを予見していた? しかし信長公から帰ってきた答えは。

乱丸の勘の鋭さを表す逸話として、こういう話もあります。

ある時、光秀は食事を取っていた。しかし、口の中の飯も噛まず、何やらじっと考え事をしている。手に持った箸を落としたのにもしばらく気づかない様子だった。

乱丸は光秀がよからぬ企てをしているに違いないと思い信長公に進言したが、信長公は取り合わなかった。

『森家先代実録』には、信長公に対して乱丸が何度か

「光秀は謀反を企てているのではないでしょうか」

と進言していた、という描写があります。

乱丸の勘の鋭さを表す特徴的なエピソードとも取れます。

しかし、まだ仕えたばかりの頃の乱丸の言葉は信じた一方、信長公は「光秀の謀反」という一点においては取り合いませんでした。

というのも、乱丸は以前から「近江坂本を拝領したい」と信長公に願い出ていたからです。

坂本は父・可成公の討死した場所でした。しかし信長公は、乱丸には美濃岩村城を与え、坂本城については光秀に与えます。先に、光秀に与えると約束していたからです。

信長公から見れば、以前から坂本城への思いを口にしていた乱丸の発言が、光秀への不満から出たものに見えた可能性もあります。

『森家先代実録』の中でも、そのようなことを言うものではない、と窘めています。

このやり取りについては、その様子を見聞きした侍女達の話をもとに書いた――と『森家先代実録』にはあります。

乱丸が光秀をどう思っていたかは分かりません。少なくとも『森家先代実録』では、乱丸の洞察力を示す逸話として描かれています。しかし、信長公が「窘めた」という点に、私は作家として思わず穿った見方をしてしまうのです(あくまでも個人の感想です)。

以前は「乱丸が言うのなら」とその意見を受け入れた信長公が、今回は「そのようなことは言うものではない」と窘めた。

光秀への好意・悪意は想像に過ぎませんが、父の死んだ土地への思い入れゆえに、光秀に対する感情が複雑になった可能性はあるかもしれません。

15歳の若さで重臣達も一目置いた言動をし、壮絶な最期を遂げた父・可成公を尊敬していた乱丸。しかし一方で、父に縁がある土地をもらえないことで、度々文句を言っていたのなら、少し人間味を感じて可愛らしく思います。

そして、その人間らしい感情もまた、本能寺の変という歴史の流れを変えることはできませんでした。

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