こんにちは、水城真以です。
5月、徳川美術館に訪問してきました。
2026年の大河ドラマは、「豊臣兄弟!」。
豊臣秀吉&豊臣秀長兄弟が下剋上から天下人へ成り上がる物語です。
秀吉の天下統一の転換期となったのは「本能寺の変」。
しかし、運命が変わったのは秀吉だけではありません。
私の推しである森家の人々もまた、運命が大きく変わったのです。
鬼武蔵は、家族との縁の薄い人生だった?
鬼武蔵の異名で知られるほど苛烈な武将・森長可。
しかし、長可は家族との縁がことごとく薄い人生でした。
父・可成と、兄・可隆と死に別れたのは、わずか12歳の時でした。
長可が家督を継いだのは、現代ではまだ子ども――当時でも充分に幼いと言われたであろう年齢の時に、急に家督を継ぐことになりました。
その後、伊勢・長島一向一揆で、長可は初陣を果たします。この時は17歳でした(そして同年に池田恒興の娘と結婚します)。
「本能寺の変」で弟達のほとんどを失った森長可
長可には、5人の弟がいました。
- 乱丸(「蘭丸」の名前で有名ですが、最近は「乱丸」という名前が広まってきましたね。実際には彼は『乱法師』が幼名だったとされているので、私のブログでは基本的に『乱丸』と表記します)
- 坊丸
- 力丸
- 千丸(後の津山藩主・森忠政)
忠政以外の3人は、「本能寺の変」で信長に殉じました。
ちなみに弟達の母親についても諸説あります。
「森家先代実録」では、兄弟は(姉や妹も含めて)全員が|妙向尼《みょうこうに》(俗名:えい)の産んだ子だったと記してあります。
一方、森家の故郷である岐阜県可児市で購入できる「金山記全集大成」には、長可と乱丸以外は妙向尼の産んだ子ではない、とされています。
妙向尼の出生年には諸説あります。
『森家先代実録』では大永4(1524)年生まれ。
『林家覚書』では天文5(1536)年生まれ。
個人的には『林家覚書』の方が自然かな、と感じます。
忠政と乱丸は6歳くらいしか年が離れていません。『森家先代実録』の通りだと、乱丸を産んだ時ですらアラフォーですし、忠政に至ってはアラフィフの出産になってしまうのです。医療がろくに発展していない時代、とんでもないことですよ・・・・・・源倫子だって末娘産んだ時は数え年44歳とかだし、その後病に伏していますし(※その後回復して90歳まで生きていますけど)。
兄弟全員が妙向尼の実子かについては、まだまだ検証の余地はあるでしょう。
しかし、可成が彼女を正妻として重んじていたのは間違いないかと思われます。
当時、武家の子はたとえ側室の子であっても、正室が養育の責任を持つことが一般的でした。織田信長の息子・信忠も、一説では信長正室・濃姫(帰蝶)の養子となっていたと言われています。実際信忠は他の弟達とは別格の立場となっていたり、尾張・美濃を与えられたりもしています。もしかしたら濃姫が後ろ盾になっていたのかもしれませんね。
現代的な価値観で、側室を批判することはできません。
しかし、「全員が妙向尼の産んだ子」と言われているのは、可成がそれだけ妙向尼を重んじていたからと言えるのではないでしょうか(『林家覚書』によると、可成と妙向尼の結婚をまとめたのは信長公らしいので、雑に扱えない縁談だったというのもあるでしょうが、私は森家を推しているので、可成と妙向尼は仲のいい夫婦であったと考えたいです)。
弟達の死を深く悼んだ「鬼」の涙
17歳で初陣を果たして以来、敵だけではなく味方からも恐れられた森長可。信長から「鬼武蔵」というあだ名をつけられます。息子達には『奇妙丸』だの『茶筅丸』だの『人』だのつけるくせに、家臣の子には立派なあだ名をつけるんですね。
しかし、弟達が亡くなった後、彼は深く悲しんだようです。
「本能寺の変」で息子達を失った妙向尼に対して、
「武士の家に生まれたならば戦場に出て死ぬのは本望」
「嘆くのはやめて、念仏を怠らず唱えてください。母上は、今生においては千丸のために祈り続けてください」
本当に「鬼」と呼ばれた男の口から出た言葉なのかと疑ってしまうほど、優しい言葉です。
「千丸に後は継がせたくない」鬼武蔵の密かな兄心。
長可は、小牧・長久手の戦いで命を落とします。その死はこの戦で敵であった徳川家康だけではなく、味方であるはずの豊臣秀吉からも喜ばれたと言います。
討死する際、長可は妻・池田氏にある手紙を残しました。
「千丸に後を継がせたくない」
「千丸が跡継ぎになるのは厭だ」
領地は秀吉に渡し、千丸に森家を継がせるのは厭だと繰り返し|認《したた》めているのです。
また、「おこうのことは町民に嫁がせてほしい。医者など良いのではないだろうか」とも残しています。
※おこうは妹説と娘説がありますが、このブログでは娘説を取らせていただきます。
そして、女達は大垣(妻・池田氏の実家)に帰れとも。
これらのことから見るに、家族を失い続けた鬼武蔵は「戦国の無情」を誰よりも痛感していたのでしょう。
遺言書には「万が一負けることがあったら城に火をかけて死ね」とも残しています。
苛烈である一方、筆まめで、手紙などは自ら筆を取ることも多かったという長可。もしかしたら書いている途中で「自分らしくないな」と気づいて書き直してしまったのでしょうか。
常軌を逸した一面ばかりが注目されがちな森長可ですが、同時に彼の中には現代の私達にも通じる人間らしさがあったのかもしれません。
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