『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について②

戦国森家

こんにちは、水城真以です。

前回に引き続き、『森家先代実録』を読みながら、森乱丸について考察していきたいと思います。

👇前回の記事

『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について①
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勤め初めてすぐに奏者に出された? 他国の使者としても遺憾なくその力を発揮した森乱丸

乱丸というと「容姿の美しさ」に着目されがちです。しかし、『森家先代実録』によると天正七年に信長公に仕え始めてからほどなくして、奏者(主君と相手の間を取り次ぐ役目)に出されています。

『森家先代実録』によると、天正7年の4月上旬に、乱丸は信長公に仕えはじめたとあります。

となると、天正7年の4月7日だと合わないような・・・・・・。とはいえあくまでもこの記事は『森家先代実録』に記されている森乱丸を紹介するものなので、そちらの深追いはしないことにします。

天正7年(1579年)4月7日、信長公は摂津の多田にいる塩川|伯耆守《ほうきのかみ》が国の政治をうまく執り行い、民をよく治めていることを耳にします。

信長公は、たとえ古参であろうとも「勤めを果たさない者」には厳しく処罰します。

一方、勤めをよく果たす者には、褒美も与えました。

信長公は塩川伯耆守に対して、銀子千両を与えます。その時、奏者を勤めたのが乱丸でした。

塩川伯耆守はその際、乱丸の容貌と立ち振る舞いを殊の外褒めていた――とあります。

塩川伯耆守とは?

先ほどから、名前の出ている塩川伯耆守とは一体どのような人物なのかを捕捉します。

|塩川伯耆守長満《しおかわほうきのかみながみつ》は、織田信長の時代に摂津国で活動した国人領主です。

塩川氏は、摂津国川辺郡(現在の兵庫県川西市周辺)を基盤とした国人です。

本拠は山下城(現在の川西市周辺)で、周辺には多田銀山という重要な鉱山資源もありました。長満の勢力圏は、京都・摂津・播磨方面をつなぐ交通上も重要な地域でした。

長満が歴史的に注目されているのは、天正6年(1578年)に起きた荒木村重の謀反がきっかけです。

荒木村重は信長公の重臣でしたが、突然反旗を翻しました。そしてこの時、多くの摂津の武将達が、村重側につきました。

しかし長満は、信長の側に残ります。

摂津は村重の本拠地に近く、周囲の情勢を考えると危険な判断だったと言えます。しかし、その危険を顧みず、長満は信長公を選びました。若い頃から、兄弟達からも裏切られ続け、今回信頼していた家臣・村重にも裏切られた信長公にとって、長満の判断はとても心強かったのではないでしょうか。

実は森家とも縁がある塩川伯耆守

しかし、乱丸と塩川家の関わりは、この時の「褒美を届けた者」と「褒美を与えられた者」では終わりませんでした。

長満には二人の娘がいました。

一人目の娘は、|鈴《すず》

この女性は、なんと信長公の嫡男・信忠公の側室となった女性です。

信忠公は武田信玄の娘・松姫と婚約はしていましたが、両家の同盟が破れたことで、夫婦になることはありませんでした。

織田家当主(信長公は天正3年時点で家督を信忠公に譲っていました)を支える立場にいたのだと考えられます。正室不在の間、もしかしたら奥向きの管理は彼女の役割だったかもしれません。

一説によると、鈴は信忠公の長男・|三法師《さんぽうし》を産んだ女性だと伝えられています。

もう一人の娘に関しては、名前は伝わっていません。

彼女は池田元助の後妻となりました。

ここで思い出していただきたいのが、こちらの記事。

鬼武蔵は家族の縁に恵まれなかった? 森長可と弟達について推察する。
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森長可の正室・池田氏は、元助とは姉もしくは妹です。

つまり、森家と塩川家は、池田家を挟んだ姻戚関係に当たります。

『森家先代実録』では、それ以上の記載がないので、どの程度親しい関係だったか? は私の妄想の余地を出ません。

しかし「この人たちは同じ時代を生きて、どこかで線がつながっていたんだ」といった背景を思い浮かべながら読むと、歴史はより一層面白くなっていく気がします。

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