只見町といえばマトン!なぜ南会津・只見で羊肉が名物になったのか?

未分類
この記事は約6分で読めます。

福島県南会津郡にある只見町。

豊かな山々に囲まれ、雪深い土地として知られる只見町には、さまざまな郷土料理や食文化があります。

そのなかでも、只見町を語るうえで外せない存在がマトン🐑です。

「只見町といえばマトン」と言われるほど、地元では親しまれてきた羊肉。

しかし、なぜ只見町でマトンがこれほどまでに食べられるようになったのでしょうか。

その背景には、戦後の南会津西部地方の暮らしと、地域の人々を元気づけようとした一人の人物の存在がありました。

今回は、只見町とマトンの知られざる歴史について紹介します。

只見町といえば「マトン」

「マトン」と聞くと、北海道など羊肉を食べる文化が盛んな地域を思い浮かべる人も多いかもしれません。

ところが、福島県の只見町にも、昔からマトンを食べる文化があります。

しかも、只見町ではマトンは特別なごちそうというより、地域の人々にとって身近な食材として親しまれてきました。

特に知られているのが、マトンの焼肉です。

羊肉を焼き、にんにくなどを添えて食べる。

今では「只見のマトン」として知られるこの食文化ですが、最初から焼肉として親しまれていたわけではありませんでした。

戦後の南会津西部地方は貧しく、農民たちは元気を失っていた

只見町でマトンが広まっていった背景には、戦後の地域社会があります。

昭和25年(1950年)頃、南会津西部地方の農村は、決して豊かな暮らしを送っていたわけではありませんでした。

農民たちは貧しい生活を強いられ、食生活も十分とはいえない状況。

地域の人々には元気がありませんでした。

そんな農民たちの姿を見て、

「どうにかして、この人たちを元気づけることはできないだろうか」

と考えた人物がいました。

それが、南会津西部地方家畜保健衛生所の所長です。

そこで所長が目をつけたのが、でした。

地域を元気にするために注目された「羊」

当時、羊は農家にとって貴重な家畜でした。

羊を飼育することで、肉を得ることができるだけでなく、農村の生活にも役立ちます。

そこで、羊を地域に導入し、農民たちの暮らしを少しでも豊かにできないかと考えられたのです。

こうして、南会津西部地方では羊が飼育されるようになり、羊肉を食べる文化が少しずつ生まれていきました。

ところが、ここで一つの問題が起こります。

それが、羊肉特有の臭みでした。

「煮る」だけではマトンは普及しなかった

当時の羊肉は、現在のようにさまざまな調理方法で食べられていたわけではありません。

肉を煮て食べることが主流でした。

しかし、羊肉を煮ると、独特の臭みが強く感じられます。

せっかく羊を飼育しても、

「羊の肉は臭い」

という印象が広がってしまえば、なかなか食文化として定着しません。

そこで、所長は考えました。

「煮てだめなら、焼いてみよう」

こうして試されるようになったのが、羊肉を焼いて食べる方法でした。

にんにくなどを使って「焼く」ことでマトンが身近な食べ物に

羊肉を焼き、さらににんにくなどを添えて食べる

焼くことで羊肉の風味を生かしながら、独特の臭みを抑えることができます。

所長は農民たちに、こうしたマトンの食べ方を教えていきました。

それまで「臭い肉」というイメージがあった羊肉が、焼くことでおいしく食べられる。

こうして少しずつ、農民たちの間にマトンを焼いて食べる文化が広がっていったとされています。

つまり、現在の「只見のマトン文化」は、単純に羊が飼育されていたから生まれたのではありません。

「どうすれば地域の人々がおいしく食べられるのか」

という工夫から、焼肉としてのマトン文化が育っていったのです。

ダム建設の作業員にもマトンが振る舞われた

さらに、只見町周辺でマトンが広まっていくきっかけとなったのが、ダム建設でした。

戦後、只見川流域では大規模な電源開発が進められ、多くの作業員が地域に集まりました。

こうしたダム建設の作業員たちにも、マトンが振る舞われるようになります。

山深い只見の地で働く人々にとって、肉は貴重な食料です。

焼いたマトンを囲み、にんにくなどと一緒に食べる。

そんな食事が、地域の人々だけでなく、工事に携わる人々にも親しまれるようになっていきました。

こうしてマトンは、農村の食卓だけでなく、地域全体の食文化として定着していったのです。

「只見町といえばマトン」と言われるまでに

農民たちの食卓から始まり、ダム建設の作業員たちにも広まったマトン。

長い年月のなかで、羊肉を焼いて食べる習慣は只見町に根付いていきました。

やがて、

「只見町といえばマトン」

と言われるほど、地域を代表する食文化になっていったのです。

現在では、只見町を訪れた際にマトンを味わうことは、地域の食文化を知る楽しみの一つにもなっています。

只見町ではマトンが「普通のお肉」だった?

只見町出身者にとって、マトンは決して珍しい肉ではありません。

実際、筆者の母も只見町出身なのですが、こんなことを話していました。

「東京に来るまで、マトンは焼肉としてメジャーなお肉だと思っていた」

この話を聞くと、只見町におけるマトンの身近さがよく分かります。

東京など都市部で暮らしていると、焼肉といえば牛肉、豚肉、鶏肉などを思い浮かべる人が多いでしょう。

羊肉を食べるとしても、ラム肉を専門店などで味わうというイメージが強いかもしれません。

ところが、只見町ではマトンが家庭の食卓に登場する身近な肉だった。

地域によって「当たり前の食べ物」が違うというのは、郷土料理の面白いところです。

マトンは「地域を元気にした食べ物」

只見町のマトン文化を調べていくと、単なる「ご当地グルメ」という言葉だけでは表せない歴史が見えてきます。

その始まりには、戦後の貧しい農村を何とか元気にしたいという思いがありました。

羊を飼い、肉を食べる。

しかし、それだけではうまくいかない。

そこで「煮る」のではなく「焼く」という食べ方を試し、にんにくなどを使いながら、羊肉をおいしく食べる方法を広めていった。

さらに、ダム建設という地域の大きな出来事も重なり、多くの人にマトンが食べられるようになっていきました。

その積み重ねの先に、現在の「只見といえばマトン」という食文化があります。

只見町を訪れたら「マトン」を味わってみたい

郷土料理には、その土地で暮らしてきた人々の歴史が詰まっています。

只見町のマトンも、その一つです。

「なぜ只見でマトンなのだろう?」

そう思って調べてみると、そこには戦後の農村、羊の飼育、地域を元気にしようとした人々の工夫、そしてダム建設という、只見の歴史そのものが見えてきます。

今では、只見町を代表する味として知られるマトン。

もし只見町を訪れる機会があれば、ぜひ焼いたマトンを味わってみてはいかがでしょうか。

「只見といえばマトン」

その言葉の裏側にある歴史を知ってから食べると、きっと一味違った郷土の味に感じられるはずです。

只見駅のすぐ近くにある「マトンケバブカフェ」では、マトン肉がぎっしりと詰まったケバブなどを楽しむことができます。

お気軽にマトンを食べてみたい! という方は、ぜひ訪れてみてくださいね。

まとめ

只見町のマトン文化は、戦後の南会津西部地方で生まれました。

  • 昭和25年頃、地域の農民は貧しい暮らしを送り、元気を失っていた
  • 南会津西部地方家畜保健衛生所の所長が、地域を元気にするため羊に注目した
  • 羊肉は当初、煮て食べることが多かった
  • 煮ると羊肉特有の臭みが強く、なかなか普及しなかった
  • そこで羊肉を焼き、にんにくなどを添えて食べる方法が広められた
  • ダム建設の作業員たちにもマトンが振る舞われた
  • その後、マトンは只見町の身近な食文化として定着した

「マトンは特別な肉」ではなく、「昔から食卓にある普通のお肉」。

そんな只見町ならではの食文化は、地域の歴史と人々の知恵によって育まれてきたものなのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました