『森家先代実録』から学ぶ、森乱丸について①

戦国森家

こんにちは、水城真以です。

織田信長と運命をともにした側近として、度々名前を挙げられるのが「森乱丸」です。今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、歌舞伎俳優の市川團子さんが演じることでも話題になっていますね。

しかし、彼に関する同時代の史料はとても少なく、人物像を知る手がかりは限られています。

乱丸の地元である岐阜県可児市など、一部地域では扱われていますが、そういった史料の多くは「江戸時代以降に作られたもの」です。

果たして、「森乱丸」は一体どんな人だったのでしょう。

私自身、乱丸を推し始めてから何年も経ちますが、知らないことの方が多すぎるのが現状です。

今回は改めて学び直すという意味も込めて、「森家先代実録」や過去に巡った史跡などを思い出しながら、森乱丸という人物を探っていければと思います。

乱丸の生まれた年(『森家先代実録』より)

乱丸は、森可成と正室・妙向尼の三男として、永禄8年(1565年)、美濃金山に生まれたと『森家先代実録』に書かれています。

天正七年の春、15歳の時に信長公へ仕えることになります。

乱丸は非常に賢く、信長公から気に入られたと言います。朝夕信長公のお側へ仕えて、常に離れる時はなかったそうだ――と、『森家先代実録』には記されています。

美しい顔つきで、出頭衆(主君の側に仕えた者達)の第一人者にふさわしい振る舞いをし、才発よき生まれつき、どのような口上も言い残しがなく、信長公からは他に人なきがごとく思われる寵臣であった。信長公へ申し上げるべきことは遠慮なく申し上げるので、その頃、織田家に仕える諸大名も彼をとりなし、諸大名への接待の時も取次の奏者をなさった。

信長公から「信」の一字を下さると言われても乱丸は固辞し、「長」の字を賜り長さだと名乗られた。

このように、過激な一面がクローズアップされる兄・長可とは対照的に、「才発よき生まれつき」――現代風に言えば、判断力や交渉力にも優れ、美少年としても知られていたようです。

ちなみに乱丸については、諱もいくつか説があります。

  • 成利(なりとし)
  • 長定(ながさだ)
  • 長康(ながやす)

一説では「長定」という名前は死後に追贈された名前で、生前は「森乱」もしくは「森成利」と名乗っていたのでは? と言われています。とはいえ当時、諱は「忌み名」とも言われ、表立って呼ばれることは基本的にありません。ですので、詳細は私には分かりかねます・・・・・・(まだまだ私も不勉強ですね)。

幼名が「乱」というのは森家に関する史料に共通して見られていますので、こちらは比較的確実性が高いと考えられます。

兄・長可も長らく「勝蔵」と幼名をそのまま通名として名乗っていたようなので、乱丸も同じように、大きくなってからも「乱」を使っていたのかもしれませんね。

ちなみにこの出仕した時期についても、諸説があります。

『金山記全集大成』などでは、13歳で出仕したと書いてあります。

乱丸の産湯に使われた? 美濃金山城に残る井戸

森家の本拠地とも呼べる、美濃金山城。そこで森乱丸は生まれました。

そこには、ある井戸があります。

この井戸は、美濃金山城において唯一の井戸と言われています。

恐らく普段の生活用水としてだけではなく、森家で子が生まれた際の産湯などにも使われたのではないか、と地元には伝わっているようです。

現在は安全対策がばっちりなされており、水を汲むことはできません。

ですが、「森乱丸が実際に使っていたのかな?」と想いを馳せることはできます。

歴史というのは目に見えないものですが、こうして想いを馳せることができるのは、現代ならではの楽しみ方かもしれませんね。

《参考資料》

  • 翻刻・現代語訳『森家先代実録 巻第三』
  • 『金山記全集大成』

コメント

タイトルとURLをコピーしました