松島こうれん誕生の物語|日本女性の鑑と称された紅蓮尼の伝説

東北地方の歴史・伝承

こんにちは、水城真以です。

日本三景で有名な、宮城県松島町。

私も子どもの頃、何度か足を運んだ土地です。

そんな松島に「松島こうれん 宮城松島 紅蓮屋心月庵」というお店があります。

ほんのり甘く、松島こうれんというお菓子が売っています。柔らかくてお米の甘みを感じるお煎餅です。


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実はこの「松島こうれん」というお菓子は、鎌倉時代から続く一子相伝の味なのです。

そして、このお菓子には、鎌倉時代から伝わるある女性の伝説が残されています。

今日は、松島こうれん誕生に関わった「紅蓮尼」という女性の伝承についてお話したいと思います。

紅蓮尼伝説について

昔、松島に蜂谷掃部という長者が住んでいました。

蜂谷夫妻は子宝に恵まれない哀しみから、観音様に毎日のように

「どうぞ子を授けてください」

と祈願していました。

その願いが届いたのでしょうか。やがて玉のような男の子が生まれ、夫婦はその子に小太郎と名づけます。

両親の愛情を受けた小太郎は、美しく聡明に、そして信心深い少年へと成長しました。

小太郎が15歳になった時、父・掃部は西国三十三観音巡礼の旅に出かけます。その道中で出羽(現在の秋田県と山形県にまたがる地域)象潟の商人・森隼人と知り合い、道中をともにします。そうしているうちに親しくなった二人は、いよいよ白河(現在の福島県)で別れる時に、

「このまま別れていつまた会えることやら、それがとてもつらい。できることなら親戚の関係を結び、交流を続けませんか」

と約束します。

森隼人には、小太郎と同じ年頃の娘がいたのです。しかも、なかなか子宝に恵まれず、長く観音様に「どうか子を」と願ったところまで一緒だったというではありませんか。きっと、掃部と隼人の間には、互いに強い共鳴があったのだと思われます。

そういう経緯で、掃部の息子・小太郎と、隼人の娘・谷の婚約が決まったのです。

「良い縁を結ぶことができたものだ。小太郎も喜ぶに違いない」

しかし、掃部が長旅から帰ってみると、屋敷は悲しみに包まれていました。

なんと小太郎は、ふとした病がもとで亡くなったというのです。

掃部は妻とともに、互いの涙が枯れるまで嘆き悲しみました。

どれほど泣き暮れたことやら。蜂谷の屋敷に、見慣れぬ娘がやってきます。美しい花嫁行列に、掃部は首を傾げます。

娘はにこりと笑いながら言いました。

「お初にお目にかかります。森隼人の娘・谷でございます――」

その美しい花嫁に、夫婦は更に涙を流します。

まだ若い谷を縛りつけるわけにはいかない――そう考えた夫婦は、谷に故郷・象潟に戻り、新しいご縁を見つけ、幸せになってほしいと伝えます。

しかし、谷の答えは「否」でした。

「お会いしたことはなくとも、これもまたご縁にございます。今日からは、私はお二人を実の両親と想い、小太郎様の妻として、この土地で生きて参ります」

この時代、同じ東北であっても日本海側と太平洋側の交流は、現在ほど盛んではありませんでした。

というのも山が険しく、雪が深かったので冬の移動が困難でした。そして山には、野盗の出没といった危険もありました。

谷にとって、文字通りこの嫁入りは「命がけ」のものだったのかもしれません。周囲がいくら説いても、谷は聞き入れず、やむを得ず掃部は谷の嫁入りを許しました。

谷は舅姑によく仕えました。しかし、時の流れは無常で、掃部もその妻も相次いで亡くなりました(同じ時期に、谷の実の両親も亡くなったという説もあります)。

谷は世の無情を強く感じ、亡くなった人々の冥福を祈ることが残された者の役割と信じ、出家します。名を「紅蓮」と改めました。

ある時、軒端に植えられた梅の花盛りを見た紅蓮尼は、

植え置きし 花の主は はかなきに 軒端の梅は 咲かずともあれ

と詠んで枝に結び付けたところ、次の年、花は咲きませんでした。

紅蓮尼はその枝を眺め、驚いて慌てて

咲けかしな 今は主と ながむべし 軒端の梅の あらんかぎりは

と詠んで枝に結ぶと、翌春からもとのように美しい花と香ばしい香りをただよわせた――という伝説があります。

日本女性の鑑となった紅蓮尼、「こうれん煎餅」を誕生させる。

顔を知らない夫とその両親に忠誠をつくした紅蓮尼は、「日本女性の鑑」として、今も多くの松島を訪れる老若男女の憧れとして、参拝する人が絶えないそうです。

紅蓮尼の暮らした庵は心月庵と呼ばれ、人々を惹きつけました。

紅蓮尼は、参拝に訪れた人たちがお供えした米を粉にしたとも、あるいは紅蓮尼の実家が米商人であったため米が手に入りやすかったとも言われており、諸説あります。いずれにせよ、紅蓮尼は米を粉にし、煎餅を焼いて、村の人々に振舞ったそうです。

その後、誰というわけでもなくその煎餅は「松島こうれん」と呼ばれ、人から人に、今もなお星家(旧姓:蜂谷)によって製造され、日本三景松島の名物として広く販売されています。

ちなみに旧藩主時代には、瑞巌寺から毎年国守に献上する習わしになっていたそうです。


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夫婦町となった松島とにかほ市の絆

小太郎の故郷・松島町と、紅蓮尼の故郷・にかほ市。

二人の悲しい恋のエピソードは、現代まで伝わっています。

「せめて二人を来世では結ばせてあげたい」

そんな現代の人々の計らいによって、二人のために「比翼塚」が建設され、静かに眠っています。

そして、1987年に松島町とにかほ市は夫婦(めおと)町として盟約を結びました。現在もイベントなどで盛んに交流が行われています。

松島は瑞巌寺や円通院といったお寺の庭園が美しく、にかほ市には温泉などもあります。また、海沿いの町なのでアワビやカニ、お刺身といった海の幸も堪能できます。

どちらの町ものどかでとても楽しい場所です。ぜひ、旅行先の候補に検討してみませんか?

結ばれない。だからこそ、美しい”理想の恋”。

谷は、生涯小太郎と出会うことはありませんでした。

現代のようにLINEも電話もない時代です。

恐らく谷は、旅から帰ってきた父・隼人から、婚礼のことを聞かされたのではないかと推測されます。となると、小太郎も同じように、掃部から聞かされる予定だったのではないでしょうか。小太郎は、谷という許婚の存在も知らなかった可能性があります。

伝承というのは、時とともに美しく姿形を変えていくものです。

谷の中にある理想の小太郎は、実際の小太郎とは別だったと思います。

しかし、遠い故郷に帰らないと決断した若い少女にとって、理想の夫というのは唯一の支えだったのかもしれません。


宮城県の民話 松島の紅蓮尼ほか オンデマンド版 日本児童文学者協会

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