江戸時代の健康法から考える「自分を大切にする」ということ|心の養生と精神疾患の歴史
「最近、なんだか心が疲れている」
「休みたいのに、休むことに罪悪感がある」
「つらい気持ちを、どうにかして自分で解決しなければいけない」
そんなふうに感じたことはありませんか?
現代では、メンタルヘルスやセルフケアという言葉を耳にする機会が増えました。心の健康を保つために、十分な睡眠を取ること、自分の好きなことをすること、つらいときには誰かに相談することなどが勧められています。
では、昔の人々は、自分の心や体をどのように労わっていたのでしょうか。
今回注目したいのは、江戸時代の儒学者・貝原益軒が著した『養生訓』です。
『養生訓』は、食事や睡眠、日々の生活習慣などを通して健康を保つための考え方をまとめた書物です。現代の医学とは異なる時代に書かれたものですが、そこからは、健康を大切にしながら生きることについて、今にも通じる問いを見つけることができます。
この記事では、江戸時代の養生思想を入口に、日本における精神疾患への理解や精神医療の歴史をたどりながら、現代のセルフケアについて考えていきます。
1.江戸時代の健康法『養生訓』とは?
『養生訓』は、儒学者である貝原益軒(1630〜1714年)が著した養生に関する書物です。正徳3年(1713年)に刊行されました。
養生とは、病気を防ぎ、心身の健康を保つために、日々の暮らしを整えることです。
『養生訓』では、食事や睡眠、運動、生活習慣など、日常生活に関わるさまざまな事柄が扱われています。
現代のように医学や科学が発達していなかった時代、人々は経験や伝統的な知識を通して、健康を維持する方法を考えてきました。『養生訓』も、そうした時代背景の中で生まれた書物のひとつです。
ここで大切なのは、養生が特別な治療だけを意味するものではないという点です。
毎日の食事や睡眠、体の動かし方など、普段の生活を整えることも健康を守るための重要な要素として考えられていました。
これは、現代のセルフケアにも通じる部分があります。
もちろん、江戸時代の養生思想をそのまま現代医学と同じものとして扱うことはできません。それでも、日々の暮らしを通して心身の調子を整えようとする姿勢には、今も考える価値があるのではないでしょうか。
2.心を労わることも、セルフケアのひとつ
セルフケアと聞くと、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。
栄養バランスのよい食事を取ること。適度に運動すること。十分な睡眠を確保すること。
こうした身体的な健康管理を思い浮かべる人も多いと思います。
しかし、私たちの心と体は、完全に切り離されているわけではありません。
強いストレスが続けば、眠れなくなったり、食欲が落ちたり、反対に食べ過ぎてしまったりすることがあります。気持ちが沈んでいるときには、普段なら簡単にできることが、ひどく難しく感じられる場合もあります。
心の不調が、体の不調として現れることもあるのです。
厚生労働省も、セルフケアについて、心身の疲れに気づき、自分のできる範囲で対処することの大切さを紹介しています。
では、心のセルフケアとは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
自分の不調に気づく
まず大切なのは、自分の状態を把握することです。
いつもよりイライラしている。眠れない。何をするにも疲れる。人と会うのがつらい。
こうした変化は、心や体が休息を必要としているサインかもしれません。
もちろん、ひとつの症状だけで精神疾患があると判断できるわけではありません。それでも、自分の変化に気づくことは、必要な対処を考えるための第一歩になります。
無理をしないことを覚える
私たちは、ときに「これくらい頑張らなければ」と自分を追い込んでしまいます。
仕事を休んではいけない。家事をきちんとこなさなければいけない。周囲に迷惑をかけてはいけない。
責任感があることは、決して悪いことではありません。しかし、その責任感が自分自身を傷つけるほど強くなってしまったら、少し立ち止まる必要があるのではないでしょうか。
疲れた日は早く寝る。予定を減らす。できなかったことを責めるのではなく、今日できたことを振り返る。
それも、立派なセルフケアです。
自分ひとりで解決しようとしない
セルフケアという言葉には、自分で自分を管理するという印象があるかもしれません。
しかし、自分で対処することと、すべてを自分ひとりで解決することは違います。
誰かに話を聞いてもらうことも、医療機関に相談することも、必要に応じて周囲の助けを借りることも、自分を守るための大切な行動です。
自分でできることには限界があります。
だからこそ、自分の力だけでは難しいときに助けを求めることも、セルフケアの一部として考えたいものです。
3.昔の人々は、心の病をどのように考えていたのか
ここからは、日本における精神疾患の歴史について見ていきましょう。
現在、私たちはうつ病や双極症、統合失調症など、さまざまな精神疾患について医学的な知識を持っています。
医療機関で診察を受け、症状に応じた治療や支援を受けることもできます。
しかし、こうした医学的な理解や支援の仕組みが、昔から現在と同じように存在していたわけではありません。
江戸時代、心の不調はどのように理解されていたのか
江戸時代には、現在の精神医学と同じ診断基準や疾患概念が確立されていたわけではありません。
人々は、当時の医学や宗教、社会の価値観などを通して、心や行動の変化を理解しようとしていました。
たとえば、現代では医学的な観点から理解される症状であっても、当時は信仰や憑きものなどの考え方と結びつけて捉えられることがありました。
ただし、ここで注意したいのは、江戸時代の人々が精神疾患について一様に考えていたわけではないということです。
地域や身分、家族の考え方、症状の現れ方などによって、理解や対応は異なっていたはずです。
また、当時の記録に登場する「気の病」などの表現を、現代の特定の精神疾患と単純に結びつけることもできません。
現在の診断名を、過去の人物にそのまま当てはめることには慎重である必要があります。
それでも、心の不調が本人だけの問題として扱われるとは限らず、家族や地域社会との関係の中で理解されてきたことは、歴史を考えるうえで重要な視点です。
明治時代以降、精神医療はどのように変わったのか
日本の精神医療の歴史を考えるうえで、明治時代以降の法制度の変化は重要です。
1900年(明治33年)には「精神病者監護法」が制定されました。当時は精神科病院が十分に整備されておらず、自宅などで精神障害のある人を監置する「私宅監置」が制度のもとで行われていました。
1919年(大正8年)には「精神病院法」が制定され、精神病院の整備が制度上進められました。
その後、戦後の1950年(昭和25年)には「精神衛生法」が制定され、先の二つの法律は廃止されました。精神医療や精神保健に関する制度は、その後も改正を重ね、現在の精神保健福祉制度へとつながっていきます。
こうした変化は、精神疾患のある人を取り巻く環境が、長い時間をかけて変化してきたことを示しています。
参考:国立精神・神経医療研究センター「精神病者監護法・精神衛生法に関する資料」
ただし、法律が制定されたからといって、精神疾患のある人がすぐに十分な医療や支援を受けられるようになったわけではありません。
制度が整備されていく一方で、隔離や拘束、本人の意思や権利をめぐる問題も存在してきました。
精神医療の歴史は、治療方法の進歩だけではなく、社会が精神疾患のある人をどのように扱ってきたのかを振り返る歴史でもあるのです。
4.現代の精神疾患と、昔との違い
では、現代の私たちは、精神疾患についてどのように理解しているのでしょうか。
大きな違いのひとつは、精神疾患を医学的な観点から捉え、診断や治療、生活上の支援につなげる仕組みが発展してきたことです。
うつ病や双極症などは、単なる気分の問題や本人の性格だけで説明できるものではありません。症状や経過を専門的に評価し、必要に応じて薬物療法や精神療法、環境調整などを組み合わせて治療します。
また、精神疾患のある人が地域で暮らし、働き、社会とのつながりを保つための支援も重要になっています。
一方で、現代になっても、精神疾患への偏見や誤解が完全になくなったわけではありません。
「気の持ちようではないか」
「頑張れば何とかなるのではないか」
「休んでいるのだから、もう元気なはずだ」
こうした言葉は、心の不調を目に見えるけがや病気と同じようには理解しにくいことから生まれるのかもしれません。
しかし、心の不調は、本人の努力だけで解決できるとは限りません。
精神疾患の症状や回復の過程は人によって異なります。外からは元気そうに見えても、本人は強い疲労や不安を抱えていることがあります。
だからこそ、周囲が自分の基準だけで判断せず、本人の話に耳を傾けることが大切なのではないでしょうか。
5.昔の養生思想と、現代のセルフケアに通じるもの
ここまで、江戸時代の養生思想と精神疾患の歴史を見てきました。
時代も医学の水準も異なるため、江戸時代の養生と現代のメンタルヘルスを、そのまま同じものとして扱うことはできません。
それでも、両者を並べて考えることで、ひとつの共通点が見えてきます。
それは、心身の状態に目を向け、日々の暮らしを通して自分をいたわるという視点です。
心と体を切り離さずに考える
心が疲れると、体にも変化が現れることがあります。
眠れない、食欲がない、疲れが取れない。こうした変化を単なる怠けや気合いの問題として片づけず、自分の状態を見つめることが大切です。
食事や睡眠などの生活習慣を整えることは、心の健康を支える助けになります。
ただし、生活習慣を整えるだけですべての精神疾患を予防・治療できるわけではありません。つらさが続くときには、専門家の力を借りることも必要です。
自分の限界を知る
私たちは、自分の限界を超えて頑張ってしまうことがあります。
仕事や家事、人間関係など、日々の生活の中には、簡単には手放せない責任がたくさんあります。
それでも、心身の調子が悪いときには、いつもと同じように動けないことがあります。
そんなときに必要なのは、以前の自分と同じように振る舞うことではなく、今の自分にできることを考えることなのかもしれません。
できないことが増えたとしても、それだけで自分の価値が失われるわけではありません。
助けを借りることを否定しない
養生という考え方から現代のセルフケアを考えるとき、忘れたくないのは、健康を守る方法は自分ひとりで実践するものだけではないということです。
つらいときには、家族や友人に話を聞いてもらう。医療機関に相談する。仕事や生活の負担を減らすために、周囲の支援を利用する。
そうした選択肢を持つことも、自分を大切にすることにつながります。
セルフケアは、自分だけで頑張るための技術ではありません。
自分の状態を理解し、必要なときに適切な助けを得ながら暮らしていくための考え方でもあるのです。
6.「自分を大切にする」とは、頑張り続けることではない
「自分を大切にしましょう」
この言葉は、よく耳にします。
しかし、具体的にどうすれば自分を大切にできるのか、分からなくなることもあるのではないでしょうか。
しっかり食事を取ること。
夜は早く寝ること。
適度に運動すること。
趣味の時間を作ること。
もちろん、こうした行動も自分をいたわる方法のひとつです。
けれども、疲れ切っているときには、食事を用意することさえ難しいかもしれません。眠ろうとしても眠れなかったり、好きだった趣味を楽しめなくなったりすることもあります。
そんなとき、「セルフケアすらできない自分は駄目だ」と考えてしまったら、本末転倒です。
自分を大切にするための行動が、新たな義務や負担になってしまうからです。
何もできない日は、何もしないことを自分に許してみる。
予定をこなせなかった日には、できなかったことだけでなく、今日を過ごした自分にも目を向けてみる。
つらいときには、ひとりで抱え込まずに助けを求めてみる。
自分を大切にすることは、いつも前向きでいることでも、毎日を完璧に過ごすことでもありません。
自分が苦しいときに、その苦しさをなかったことにしない。
それもまた、自分を大切にすることなのだと思います。
7.心の不調が続くときは、専門家に相談することも大切
セルフケアは、心の健康を支えるために役立つものです。
しかし、気分の落ち込みや不安、不眠、食欲の変化などが続き、日常生活に支障が出ている場合には、セルフケアだけで解決しようとせず、医療機関などに相談することを考えてみてください。
精神疾患は、本人の努力不足や意志の弱さによって起こるものではありません。
症状や必要な支援は人によって異なるため、専門家と相談しながら、自分に合った治療や生活の整え方を探していくことが大切です。
また、すでに治療を受けている人も、調子が悪いときに自分を責める必要はありません。回復の過程は一様ではなく、日によってできることが変わる場合もあります。
「もっと頑張らなければ」と自分を追い込む前に、「今の自分には何が必要だろう」と考えてみる。
その小さな問いかけが、自分をいたわるきっかけになるかもしれません。
おわりに――時代が変わっても、自分をいたわることの大切さは変わらない
江戸時代の『養生訓』から始まり、日本における精神疾患への理解や精神医療の歴史、そして現代のセルフケアについて考えてきました。
昔と今では、病気についての知識も、治療方法も、社会の仕組みも大きく異なります。
精神疾患への理解が十分ではなかった時代には、本人の苦しみが正しく理解されず、適切な支援につながらなかった人もいたことでしょう。現在も、偏見や誤解がすべてなくなったわけではありません。
だからこそ、歴史を振り返ることには意味があります。
私たちが当たり前だと思っている健康観や医療、福祉の仕組みは、長い時間をかけて形作られてきたものです。そして、これからも変わり続けていくはずです。
貝原益軒の『養生訓』を現代の医学と同じものとして読むことはできません。それでも、心身の健康を守るために日々の暮らしを見つめ直すという視点は、現代を生きる私たちにも考えるきっかけを与えてくれます。
自分の不調に気づくこと。
無理をしている自分を認めること。
必要なときには誰かに助けを求めること。
そうした行動は、決して甘えではありません。
自分の心と体を大切にしながら生きていくために、必要なことなのです。
毎日を頑張っていると、自分のことはつい後回しになってしまいます。
だからこそ、ときには立ち止まって、自分に問いかけてみたいと思います。
今日の私は、自分を大切にできているだろうか。
すぐに答えが見つからなくても構いません。
自分の心に目を向けることから、始めてみてもいいのではないでしょうか。

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